2011.3.11個人的ドキュメント。

 この日は午後から会議があり、6階の会議室にマネージャー等が集合していた。14時46分、地震には人一倍敏感なオレが「地震じゃないですか?」と周りに呼びかけたら、その瞬間にグラッと激しい揺れ。建設当時から耐震強度1のビルでこの揺れ方は尋常ではないと直感的に思い、会議室を飛び出して職場へ。会議自体が重要案件だったこと、営業担当は外出していたので職場に残っていたのはほとんど派遣社員のみだったのだ。

 デスクの下へ入れと大声で叫んでもみんな呆然として動けず。オレは避難口を確保しようとセキュリティドアをぶち破ったところで、激しい揺れのために動くことが出来なくなってしまった。揺れの中で「バシッ、バシッ」とビルが割れる音が分かる。この時、初めて死を覚悟した。揺れがおさまった時の「ビルが崩れなくて良かった」と安堵したのは言うまでもない。が、あとから考えてみれば耐震強度1のビルが崩壊することは無いのだ。

 ここで身内に電話。経験したことの無い揺れだったので心配だったこともあるが、この揺れでは時間の経過とともに電話が輻輳してつながらなくなると判断したのだ。電話はすぐつながり「無事」と確認。お互いの無事を確認すれば、やらなければならないことに集中出来る。この判断は正しかった。その後電話は輻輳し、ほとんどの携帯電話が繋がらなかった。

 安堵したのもつかの間、今度は火災報知器が鳴っている。誤作動も考えられるが、この尋常では無い状況でそれは考えられない。すぐ火の出元を探しに走った。通路に出た途端、目の前は真っ白の靄。幸い、非常口・非常階段の反対側だったので、「消化器!」の叫び声が飛び交ったが冷静に呼吸をすると埃臭い。火災では無く、ビルが割れて粉塵が大量に舞ったのだ。

 なぜ耐震強度1のビルが割れたのか?
 オレは耐震強度1のビルに入っているが、このビルを大きくするために「通用口を作り隣りに」耐震強度2のビルがある。このビルが地震によってオレたちが入っているビルにぶつかっていたのだ。

近所の方の証言:「うねるようにガシャガシャぶつかり合って倒れると思った」「黒煙が出ていたので火事になったと思った」

 デスクトップのパソコンは全て倒れ、ちょっとやそっとでは動かないような什器類も動いて各職場はめちゃくちゃ。トップの危機意識のもと、全社員駐車場に集合の指示が出て非常口から避難。このあと、強い余震があったのでトップの判断は正しかった。

 全員が駐車場に避難したことにより、情報が入って来ない。電話が繋がりにくくなっていたため、外出していた営業マンとも連絡が取れず、駐車場の安全な場所で待機すること30分。続々と営業マンが帰社。社用車のラジオで情報が入るようになり、交通公共機関がストップしていることが判明した。

 歩いて帰れる人は即帰宅。それ以外の人は安全のために会社に泊まるよう指示が出た。みんなが耐震強度1のビル側に泊まる中、マイカー通勤のオレは同じ方面の人を送って帰宅。
 家に着いたのは0時を過ぎていたが、ニュースを見て初めて「これは非常事態では無く、日本の異常事態である」ということを認識した。