もしもの時に備えて。

 男というのはいつ何があるか分からない。もしもの時に備えてコ○ドームは肌身離さず持っていろっ!それがエチケットってもんだ!と、会社の人@58才から教わりました。もう60才間近なのに、あっちこっち元気のいい人だよなぁ(笑)。<おい。

 計画停電が夜の時間帯に入った時は布団に入って暖をとればいいや、と何も考えていなかったのが3月。ホッと一息ついたいま、会社の人が騒いで色々と購入していたものを(正確には売り切れで買えなかったみたいだけど)、偶然入ったスーパーで購入することが出来ました。

 停電に備えてランタン。夜に鳴るエリアメールや緊急地震速報でドキドキするのは「暗いから」なんですね。暗さは「不安」を呼ぶんでしょう、オレの場合は。

 これ、値段の割にはしっかりしていて明るいんですよ@coleman。品不足で中々購入出来ない単一電池を8本も使うのが痛いけどね。写真のランタンの左下に単一電池を1本置いてあるけど、どこのメーカーだか分からないものが6本パック×2セットまで同時購入出来たんです。ランタンは1,790円、電池12本の方が高かったわ。

ランタン

 これが電気を付けたところ。昼間にもかかわらず明るいのが分かる写真でしょ。もし真っ暗になったらこの明るさは安心出来るわ。

ランタン

 持ち運びにはこのようにスポンと畳めます。ランタンを「持つ」ことは初めてなんだけど、単一電池を8本も使うからなのか、持ち運びやどこかに吊るすには「重さ」がネックになりますね。それ以外は満足です。

ランタン

 次に情報源。計画停電の時にも安易に「車でラジオ・テレビで情報を取ればいいや」と思っていたんだけど、実際にはガソリンが供給されていなくて無駄にエンジンを掛けることはしなかったのです。エンジンを掛けなくてもバッテリーだけだと不安だったので。

 喉が渇いていつものコンビニに寄ったら「890円、携帯ラジオ、単三電池×2本」と店の端っこにコッソリ(笑)置いてあるじゃないですかー。聞いたことの無いメーカーだけど、Amazonでも品切ればかりだった携帯ラジオが手に入るならいいかとお買い上げ。

携帯ラジオ

 バッチリNHK第一を聞けました。これで停電時の情報源も確保。

 そして次は防災ヘルメット。これも品薄みたいですね。今朝の5時に注文したら、11時には「発送準備に入りました」とメールが来たので入手出来そうです。

 買い物に行って「品不足のものを入手出来た」ことで思ったんだけど、ネットをやっているとまずAmazonや楽天で探すんですよね。でも現地に行った方がいい時もあるのですよ。
 「もしかして…」と、働く男の店に寄ったら防災ヘルメットは潤沢に販売されておりました。今朝迷ったんだよなぁ、ネットで注文するか、働く男の店を見てから注文するか。でもネットで注文するには「モノがある時にポチしないと売り切れる」可能性が高いじゃないですか。

 これで非常時に必要とするモノを入手することが出来ました。あとは非常食とペットボトルの水が1本あればいいかしら。そんなことを考えながら、非常時持ち出し袋のようにランタンや携帯ラジオをリュックサックに入れていたら地震が来たのでした。変わったことをするもんじゃないのか、備えろということなのか、とにかくビックリしましたよ。

 東日本は状況が状況なだけに、危機管理だけはしておかないといかんということで。

支離滅裂な感情。

 東日本大震災発生から1ヶ月が経過。この1ヶ月間、ガソリンの供給が間に合わないGS渋滞、計画停電や大きな余震等、日常生活においても初めてのことだらけで慌ただしく過ぎました。

 まず自分が何をしなければならないか、という最優先事項は出勤すること。被災者の受け入れ県域でもあるので、やるべきことをやらなければならないから。そして復旧部隊・後方支援部隊で同期の連中が次々と現地入り。だから現地の状況はリアルタイムで情報を受け取っていたんですね。これを受けて自分のやるべきこと・やらなければならないこととして、まずは節電、そして義援金・物資、そして、そして、そして…。何も出来ないんです。これら以外に何も出来ないのです。これでいいのだろうか?と考えているところへ、「被災地以外は普通の生活をしてください。経済を動かしてください」という旨のことが言われているじゃないですか。これならオレにも出来る、普段通りの生活をすればいいんだと思いながらも、寝る場所がある・食べるもの・ライフラインもある、普通の生活が出来ているじゃないか、これ以上贅沢をしていいのだろうか?と自問自答する自分もいました。だから「自粛を自粛してくれ」と言われても、「経済を動かすという名のもとに楽しんでいいのだろうか?」という考え方をしてしているんだね。それと同時に自粛をしているわけでは無く、大きな余震に備えて必要以上に出歩かないという考えも持っているんですよ。

 いつだったかなぁ、震災後、コンビニでラウンジのママにばったり会ったんですよ。その時の会話。

オレ:「計画停電の時は営業しているの?」
ママ:「計画停電が終わる22時から営業してるよ。私が出来ることはお店を開けて経済を回す事と、お客さんに楽しんでもらうことなんだ。だから計画停電が終わってからお店を開けてるの」

 経済を回せてないじゃん。少なくともオレの知っている居酒屋は停電中でも通常営業をしていて、その時間帯はメニューを減らして全テーブル・カウンターにロウソクを灯しているぞ。そしてお客さんに「暗い中でロウソクの火をもとに飲むことを楽しんでもらっている」んだぞ。だいたいママの店は計画停電が終わる22時まで待って行こうというお客なんかいないじゃないか。お客は計画停電があるから帰ろうとなるし、営業時間が短くなればスタッフの給料が下がるじゃねーか。彼女達は事情があって昼間の仕事と夜の仕事をしているんじゃないのか。そこで計画停電を理由に給料が減っては困るだろ。経済を回すと言っても、結局は自分の店の収入だけしか考えてないんじゃねーの?ママは経営者という立場なんだから、スタッフの給料まで考えて初めて「経済を回す」と言えるんじゃねーのか?

 何だかオレも屁理屈を並べてママに文句を言ってみたりと、精神状態が不安定でしたね。説教たれるオマエが何したってんだよ、という感じで。オレの中で色々な葛藤があり、そのやり場の無さにイライラしていたところで「バッタリ会った」ことが不幸です。

 分かり易く言うと、「自粛して最低限の範囲で生活しなければならない」という考え方と、「震災以前のように普通に生活をしなければならない」という二つの考え方がオレの中にあります。したがって1ヶ月を経過した今でも、「自粛の自分」が顔を出したり「普通の自分」が顔を出したり、不安定な精神状態で都度都度発言や行動が支離滅裂になっているんです。

 ひとつの脳みそしか無いのにふたつの考えを持つ自分に疲れるなぁ。と書いていても、この「疲れ」なんて被災地の方々のことを考えればどーってことは無いと考える自分がいて、やはり支離滅裂です…。

言葉。

 震災から1ヶ月、「頑張ろう 日本!」の合い言葉で救助・支援・復旧が少しづつ進んで来ているけど、個人的には今の時期、この言葉だけで括られるのは違和感があるのです。

福島原発の現場→頑張ってくださいと応援出来る。

福島を含めた東北関東被災地→この1ヶ月で「頑張ろう」と励まして、果たしてどれだけの人が頑張れるのか?もう既に1ヶ月も頑張っているんじゃないか?

 避難場所ではまだまだ不自由している場所があるでしょう。そして2度目のM7.1の余震で東北地方では停電しているところがあるでしょう。物資が潤沢になってきても、その物資を購入するためにみなさんがお店に足を運べる環境でしょうか?まだ大きな余震が来るかもしれません。どこで起こるか分からない、これは東日本在住者には恐怖です。

 「頑張ろう」の使い方を間違えると薄っぺらい言葉に聞こえる時もあるんですよね。と同時に、「これ以上、どうやって頑張ればいいんだ?」と落ち込むことだって考えられるんですよ。

 オレはパニック障害からうつ病も発症したことがあります。「頑張れ」という言葉だけの応援がどれだけ辛かったか。帰る家、寝る場所、仕事、これらがあって病気になっただけで「頑張れ」が辛かった。
 今回の震災で全てを失った方々に、「いつまでに何をする」と明確な目標を示せない中で「頑張ろう」という言葉は薄いんじゃないか。それ以外に掛ける言葉がみつからないほど、今回の震災被害が大きかったのも事実。

福島を含めた東北関東被災地→どうか、どうか今は耐えてください。頑張るのは復興が本格化してからです。

 国民に「合い言葉」が出来るのはいいことだと思います。ただ、今は「使い分け」が必要じゃないでしょうか。

頑張る。

耐える。(負けないで)

 適切な言葉を使えば「勇気」が生まれるかもしれません。そして勇気が生まれれば、本当に「頑張ろう」という応援が必要とされるんじゃないかな。

 携帯からのアクセスはこちら

前進あるのみ。

 世間では週末3連休、個人的には出勤したけれども「フッ」と息が抜けたというか「ホッ」と一息ついたというか、少し緊張感が緩んだ感じ。明日からまた緊張感を高揚させなきゃいけないけど、この「一息」の間に趣味の多肉植物を見てみたんですよ。

 「忙しい」と言い訳を作って、寒くても屋外に放置して面倒を見なかったのに、こいつらは着々と大きくなってるじゃないですかー。

 寒さでダメにしてしまった多肉植物もあるけど、しっかり根を張って春を待ち続けていた多肉植物もいたんですね。いや、待つよりも生長していたみたい。

 日々、時間がどんどん進んでいくので「待つこと」って出来ないんですね。こいつらのように「出来ることからコツコツと前進あるのみ」という意志を持って毎日を過ごしたいものです。いや、過ごさなきゃいけないんだな。

ミラーボール

ハオルチア ミラーボール

ヘルバセア

ハオルチア ヘルバセア

オブツーサ

ハオルチア オブツーサ

スイセンの花

 スイセンの花が咲いていました。暖かくなる春はもうすぐ。

 明日からまた計画停電が実施されることでしょう。この時間帯は交差点への進入は本当に慎重に。いつも以上に緊張感を持ってな。譲り合いの精神を持てば事故は起こらないはず。そして目的地への到着時間を逆算して出発時間に余裕を持とう。

2011.3.11個人的ドキュメント。

 この日は午後から会議があり、6階の会議室にマネージャー等が集合していた。14時46分、地震には人一倍敏感なオレが「地震じゃないですか?」と周りに呼びかけたら、その瞬間にグラッと激しい揺れ。建設当時から耐震強度1のビルでこの揺れ方は尋常ではないと直感的に思い、会議室を飛び出して職場へ。会議自体が重要案件だったこと、営業担当は外出していたので職場に残っていたのはほとんど派遣社員のみだったのだ。

 デスクの下へ入れと大声で叫んでもみんな呆然として動けず。オレは避難口を確保しようとセキュリティドアをぶち破ったところで、激しい揺れのために動くことが出来なくなってしまった。揺れの中で「バシッ、バシッ」とビルが割れる音が分かる。この時、初めて死を覚悟した。揺れがおさまった時の「ビルが崩れなくて良かった」と安堵したのは言うまでもない。が、あとから考えてみれば耐震強度1のビルが崩壊することは無いのだ。

 ここで身内に電話。経験したことの無い揺れだったので心配だったこともあるが、この揺れでは時間の経過とともに電話が輻輳してつながらなくなると判断したのだ。電話はすぐつながり「無事」と確認。お互いの無事を確認すれば、やらなければならないことに集中出来る。この判断は正しかった。その後電話は輻輳し、ほとんどの携帯電話が繋がらなかった。

 安堵したのもつかの間、今度は火災報知器が鳴っている。誤作動も考えられるが、この尋常では無い状況でそれは考えられない。すぐ火の出元を探しに走った。通路に出た途端、目の前は真っ白の靄。幸い、非常口・非常階段の反対側だったので、「消化器!」の叫び声が飛び交ったが冷静に呼吸をすると埃臭い。火災では無く、ビルが割れて粉塵が大量に舞ったのだ。

 なぜ耐震強度1のビルが割れたのか?
 オレは耐震強度1のビルに入っているが、このビルを大きくするために「通用口を作り隣りに」耐震強度2のビルがある。このビルが地震によってオレたちが入っているビルにぶつかっていたのだ。

近所の方の証言:「うねるようにガシャガシャぶつかり合って倒れると思った」「黒煙が出ていたので火事になったと思った」

 デスクトップのパソコンは全て倒れ、ちょっとやそっとでは動かないような什器類も動いて各職場はめちゃくちゃ。トップの危機意識のもと、全社員駐車場に集合の指示が出て非常口から避難。このあと、強い余震があったのでトップの判断は正しかった。

 全員が駐車場に避難したことにより、情報が入って来ない。電話が繋がりにくくなっていたため、外出していた営業マンとも連絡が取れず、駐車場の安全な場所で待機すること30分。続々と営業マンが帰社。社用車のラジオで情報が入るようになり、交通公共機関がストップしていることが判明した。

 歩いて帰れる人は即帰宅。それ以外の人は安全のために会社に泊まるよう指示が出た。みんなが耐震強度1のビル側に泊まる中、マイカー通勤のオレは同じ方面の人を送って帰宅。
 家に着いたのは0時を過ぎていたが、ニュースを見て初めて「これは非常事態では無く、日本の異常事態である」ということを認識した。

撮って!

 誰もが「写真はイヤ」というのに、彼女は「撮って撮って〜」と言うのでパシャリ。PowerShot S90ですけどね。

サラ

 とは言え、彼女から「何か」を感じたのも事実。久しぶりですねぇ、この「何か」の感触。エステに行って脱毛しているとかの理由じゃなくて(笑)、何だろうこの感触。

初雪とドライフルーツ作り。

 今朝はいつも通り5時起床、それほど寒くないかも?と支度をして散歩に出ようとしたら雪。6時頃から降り出したんですかねぇ、ビックリしました。あれよあれよという間に辺り一面真っ白になったんだけど、軽くて湿っぽく無い、これがパウダースノーってやつですな。

初雪

 去年、最後に雪が降ったのは4月17日なんですよね。その時の日記です。
 花壇もほんのりと白く色付いて、花には申し訳ないけど見栄えが良かったなぁ。8時頃にはやんで10時頃には融けちゃいましたけどね。

 で本日。人生初のドライフルーツ作りに挑戦。レシピは無し。こんな感じだよなぁという感覚で作ったけど食べれるんだろうか?(笑)

 ゆずとキンカンを砂糖でグツグツ煮たんですよ。これを天日干ししてグラニュー糖をまぶせば出来上がり、のはず。想定と違ったのは、1日では乾燥しなかったことかな。これ、2~3日干さないとダメかしら。なので完成品は後日となります。もしダメだったらもっと煮込んでジャムにすればいいかしらん。

ドライフルーツ作り

 約6時間ぐらい干してたかな。

ドライフルーツ作り(ゆず)

 これはゆずの皮の部分。こういう作業は好きみたいだなぁ。ゆずの中身でジャムが出来そうなので冷蔵庫に保管中。

ドライフルーツ作り(キンカン)

  キンカンは風邪をひいた時に食べる、もしくは風邪の予防のために毎日食べる、むかしそう教わったような覚えがあるんだけど当たってるかしら?

 もちろんつまみ食いをしたんだけど、これが自画自賛するほど甘くて美味しかったんですよ。わざわざドライフルーツにしないでこのまま食べちゃおうかしら。